往復の自転車通勤にもスパッツの下履きが欠かせないが、
寒くなると一昨年亡くなった祖母を思い出す。
大田区の祖父母の家の団欒の間は掘り炬燵で、
古い木製の炬燵の下はコンクリートで固められた空洞になっていて
底にはスノコが敷いてあり、くりぬかれた中央に四角い電気あんか状のものが置いてあった。
火鉢でないから冷え込む日には炬燵に足を入れるというより、
その電気あんかに足を擦り付けている感じになるのだが
熱いほどにはならないのでもちろん火傷はしない。
他には石油ストーブを使っていたが、
祖母は「亥の子まで火は使えない」ということにこだわっていて
例年、かなり寒くなるまで暖房をしなかった。
そういうわけで子供の頃は週末祖父母の家に行くたびに
「まだ”いんのこさん”じゃないのか・・・」とストーブが待ち遠しかったし
やっと炬燵のスイッチが入った時は本当に嬉しかった。
(正式かどうかわからないが、祖母は「いのこ」ではなく「いんのこ」と発音していた)
先日、和文化研究家と名のる人が
亥の子まではヒーターを入れないでエアコンでしのぐとネット上で書いていたが、
火を使わないからエアコンはオッケーとか、そんな緩さが現代風だな、と思った。
電気は火じゃないからいいというのは
祖母のような固い人だったら受け入れられない考え方だろうし
あの、寒いのをちょっと何日か我慢してからの暖房は
何よりもご褒美だったように思う。
とはいえ今や寒さをしのぐなんてことは日常ではまったくなくなってしまった。
特に鍼灸治療中にぺらぺらの治療着1枚の患者さんに対して部屋が寒いなんていうのは
ナンセンスなので、今年の亥の子は11月22日らしいが
10月末にして早くもガスファンヒーター登場。
先日患者さんと話していたら
炬燵を買おうかなと思っているとおっしゃるので
うちで何年も使わないままになっているものを持っていってもらった。
お子さんが多いご家庭なので、
「この足誰の~?」とか「みかん取って」とか
皆でわいわいと囲んでくださっているのを勝手に想像する。
もう何年も自分は炬燵には入っていないけれど
あの四角いテーブル周りの風景を思い出すだけで、私の心も温か。
